あいむのゆっくり記録。

〈抑うつ神経症〉と診断された精神病患者の回復記録。

精神科通院を始めるまでの私

こんにちは。

今回は、自己紹介を兼ねて、私の自覚症状、精神科を受診しようと思ったきっかけや経緯などについて書いていきたいと思います。

この記事を読めば、自分と似てるなとか、その他の記事が自分にとって参考になりそうかとか分かるのではないかなと思うので、読んでみてください。

 

 

精神科通院を始める前の私

私が精神科通院を始めたのは、20代後半頃です。

それまで何も自覚症状がなかったのかというと、そうではありませんでした。

恐らく〈普通ではない〉のであろうと自覚しながら、そんな自分をそのまま受け止めて生きていました。

実際には、こんな自覚症状がありました。

簡潔に書くと、死にたいと思っていたという事なんですけど、私の場合は何か嫌なことがあったから死にたいと思うわけではありませんでした。

そもそも、死にたいんです。

自己肯定感が低いからか自分の存在価値がわからず、いないほうがいいと思い、生きたいという感情や意思がないという状態でした。

いつも心の奥底には死にたいという気持ちが渦巻いていて、時々それが大きな波のようになって心の中を覆い尽くすような感じでした。

何度か自殺しようとしたことがありました。

死ねなかったから、今まだこうして生きています。

死にたい気持ちを抑えるために死に方を調べていたこともありました。

冒頭でも書いてありますが、〈普通ではない〉と認識しています。

と言っても、自分が〈普通ではない〉と認識を改めたのは20代に入ってからの話です。

「死にたい」という感情があることは、私にとって、とても自然で当たり前のことでした。

だからとてつもなく死にたくなって辛くてどうしようもなくなることも、誰にだって訪れることだと思っていました。

しかし、ある時から「生きたい」と思うことが〈普通〉だということに気づき始めました。

例えば、目の前に殺人鬼が現れたとしてどうするかとか、明日死ぬとしてどうするかとか、死期が迫ってるとして残りの寿命を聞くのかとか、そういう話になった時、決まって私は「できるだけ早く死にたい」という気持ちで答えを出していました。でも、他の人の回答は決まって「生きたい」という気持ちが根底にある回答でした。

そういうことを目の当たりにするにつれ、「死にたいと思ってることは〈普通〉ではないんだな」とようやく気付きました。

 

精神科を受診したきっかけと経緯

 

これまで精神科を受診しなかった理由

私は、〈普通ではない〉と自覚しながらもそのままの自分をそうと受け止めていたので、精神科を受診するつもりはありませんでした。

誰かに頼らずとも、そのままで生きていけていましたし、病名が付くと私の場合悪化してしまうのではないかという不安がありました。

だから私はこれまでもこれからも、そのままの自分でどうにか生きていくのだろうと思っていました。

 

初めて精神科受診をしようと思ったきっかけ

何がきっかけか分かりませんが、ある時から、毎月のように強い希死念慮に襲われるようになりました。

それまで感じていたようなものではなく、生きている自分を激しく責め、どうしても死にたいと強く思う感情でした。あまりの希死念慮の強さに布団から出る事すらかなわないこともありました。

それも一日限りではなく、数日、長いと10日、2週間に及んでいました。

その頃の記録をまとめたものがこちらの記事です。参考までに。

danslelent.hatenablog.com

あまりに強い希死念慮と、毎月のように続くことに異常さを感じ、私は精神科にかかったほうがいいのではないかと思いました。

そうして、自分で精神科を調べ、初めて精神科への受診をしました。

これが一度目の精神科通院でした。

通院するにあたって、お医者さんには初めから薬での治療をしたくないと伝えていました。それは、精神科の薬は依存性が高いものもあり、使い始めると増える傾向にあると思っていたので、できるだけ使いたくなかったからです。

臨床心理士の方のカウンセリングを希望し、通院のたびに話を聞いてもらったり助言などをもらったりしていました。

通院を始めてから精神的に安定して、何でも話せる人がいるってそれだけでとても楽になるのだと実感しました。

でも、数回の通院ののち、徐々に自分に対して不安を感じます。

精神的に安定しだして、「死にたい」と思わなくなってきた気がする。だけど、「死にたい」と思わなくなった私は、果たして〈私〉なのか?

さらに、見栄っ張りな私は自分でも気づかない間に平気なフリをしてしまい、カウンセリング終了直後に気分が落ち込むようになりました。

そうして迎えたある通院予定の日、私はひどく気持ちが落ち込んで布団から動けなくなってしまい、そのまま連絡することなく通院を休みました。

数時間経って、ある程度気持ちが落ち着いてから病院に連絡しましたが、そこはやはり精神科なので、次回予約は1ヶ月以上後になってしまうと言われました。

自分が感じた不安、通院した時には見栄を張ってしまうこと、実際に辛いときには通院すらままならない自分の現状から、私は精神科への通院をやめて、自力で対処していこうと思いました。

もはや「死にたい」と思っていることがアイデンティティとなってしまっている私には、「死にたい」と思わなくなることが怖かったです。

だから、「死にたい」と思っている私をそのまま認めて、それでもどうにか生きていくという選択をしました。

 

精神科への通院を始めた経緯

それからも自分なりに希死念慮と闘いながら生活していた私に転機が訪れました。

コロナです。

私自身がコロナに罹ってしまい、療養に伴い仕事を休むことを余儀なくされました。

体調の不良、コロナ患者として隔離された空間、迫る各種支払い。

そして療養の期間を終えて、唐突に隔離から解放されて、私は現実味のない空間に放り出された気持ちになりました。

隔離からは解放されたけどもまだ働けない現実、迫る各種支払い、まだ残る後遺症。

その日、私はまた激しく強い希死念慮に襲われました。

どうしてもどうしても死にたくて、実際に死のうかと動こうとして、思いとどまって、ということを何度も繰り返しました。

苦しくて、辛くて、遺書を書きながら誰かに助けてほしいと思いが沸き上がってきた私は、泣きながら、死にたいという感情で埋め尽くされてる頭で必死に悩んで、ついに母に助けを求めて電話をしました。

そして、その電話の翌日、母に付き添われ精神科を受診しました。

 

精神科通院をしている私

今の私は、月に一度カウンセリングを受けながら、薬物療法を受けています。

薬のおかげもあってか、激しく落ち込むことも、激しい希死念慮に駆られることも今はありません。

でも、あの激しい希死念慮に駆られたあの日から、気力と体調に左右され、出来ることも限られている現状です。

それでも、私なりに前向きに生きていこうと心に決めて、毎日少しずつがんばっています。

抑うつ神経症〉と診断され、今までの私は軽度のうつ状態だったと診断されたと知り、複雑な気持ちを抱え、もっと早く精神科にかかっていればよかったのではないかと思う日もあります。

これまでもそうであったように、私は私自身のこの希死念慮や軽度のうつ状態とうまく付き合いながら生きていかなければいけないのだろうなと思います。

そんな私の記録をこれからも書いていこうと思うので、こんな私の体験も、誰かの参考になりますように。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

 

※この記事の〈今〉は投稿当初の状態のものです。

現在は状態が変わっている可能性もあるため、

現在の状態などは最新の通院記録をご参照ください。

死にたくなったあの日から2年7ヶ月後の私

 

お久しぶりです~。

3ヶ月ぶりの更新となってしまい、すみません。

新年のあいさつもできていないままでしたね…。

あけましておめでとうございます。生きてます。

 

1月は、更新しようとして記事を書いていたのですが、

精神的状態があまり良くなくて、前向きな書き方ができず断念しました。

2月は、更新を予定していた日の前にコロナに罹ってしまい、

精神科への受診もできず、ブログを更新するどころの状態ではなくなっていました。

 

コロナも治り!後遺症もなく!

胃痛を抱えながらですが生きてます!!

それだけで十分!生きてるだけでえらい!息しててえらい!

というわけで、ここ3カ月のことを振り返っていきたいと思います~。

 

 

前回の振り返り

精神的な状態の悪化の原因となることが多いあの人からの主な連絡手段を拒否したにもかかわらず、まさかの別のところから連絡をしてくるという衝撃事件が発生し、最終的に全ての連絡手段を拒否することにしましたね。

あの人が私のことを知る手段は、人づてに探る、病院に問い合わせる、自宅凸するの3つのみとなりました。

自宅凸とか来なきゃいいな~来ないで欲しいな~と思いつつ、まあ、こねぇだろ!と高を括っておりましたね…。

お薬は全て継続し、衝撃事件の影響もあり、胃痛が続いている状態でしたね。

でも、後は回復するのみのはず!と気持ちはわりと前向きでしたね。

 

今回の受診日までの3ヶ月程の話

1月、精神的状態があまり良くなくてブログが更新できなかったと書いていたのですが、実は何か事件があったわけではありません。

強いて言うなら、年始早々体調を崩したくらい。

ただ、12月からずーっとメンタルが不安定で、胃痛も相変わらず続いていました。おかげで胃薬が増えましたね~w

でも、推しの存在に支えられながら、どうにかこうにか日々を過ごしていました。

そして、自分の誕生日を迎え、楽しみにしていた推しであるaikoのライブに行き、これ以上ないほど幸せな時間を過ごし、観光も楽しんで充実した時間を過ごしました。

自分の誕生日を喜ばしく思っていなくて、特にここ5年くらいはそれが顕著で、歳を重ねることをおぞましく感じていました。

「歳なんてとりたくないな~」なんて軽いものではなく、酷い嫌悪感と気持ち悪さを感じていました。そして、これからも歳を重ねていくであろうことへも言いようのない気持ち悪さを感じていました。

それが、初めてと言えるくらいとても楽しく充実した誕生日を過ごし、こんなに最高な誕生日はないと心から思い、私はようやく自分の誕生日を前向きに捉えることが出来るかもしれないと思いました。

そんな、誕生日から1週間経ったある日。大事件勃発です。

前述したあの人が、なんとピンポンダッシュしてプレゼントを置いていったんですね。

私からすればプレゼントどころか特大爆弾なわけですが、ひとまず妹に連絡して相談し、とりあえずプレゼントだけ見てみることに…。

手紙も一緒に入っていたのですが、手紙を読まないままプレゼントを見ても意味が分からないものばかりが入っていました。

詳しい内容は伏せたいのですが…とても貴重であろう物が数点、そしてなぜか母子手帳などが入っていました。

もうね、大荒れですよ。

プレゼントの内容が意味分からなすぎるし、拒否したのに家凸来たのも衝撃だし、せっかく最高の誕生日だったのにぶち壊された気持ちだし、自分がこれまで少しずつ回復してきたことも全て無に帰されたような気持ちになりました…。

怒って、泣いて、笑ってを1時間していましたが、妹に受診するよう言われていたので、無理やり寝て翌朝を迎えました。

寝て起きても、精神状態は大荒れのままでした。

どうにか病院に行き、先生の前でうわーーーっと感情を爆発させて、たくさんなだめてもらった後、先生から「精神安定剤の注射打っとこうか。」と言われました。

注射を打った後は、驚くほど大荒れの感情がスッと落ち着きましたね。

とはいえ、精神的ダメージはやはりすごいものだったようで、ずーーーっと不調が続いてますね。

とにかく胃が痛い。

そして、そんな折にコロナに罹ってしまいました。

検査して、コロナに罹ってると明確にわかってその事実を認めるまでがまた精神的に不安定になりましたね。

自分がめちゃくちゃ死にたくなった直前がコロナに罹っていたので、またそれが起こるのではないかと怖くなってしまい、その恐怖で不安定になって死にたいってなるっていう状態になっていました。

でもいざ検査でコロナに罹ってるとわかってしまうと、やっぱそうだよな~と認めざるを得なく、その後は意外と大丈夫でしたね。

コロナが治って、後遺症もなく回復した後も、胃痛と精神的に不安定な状態は続きました。

 

今回の受診日の私

あの人の特大爆弾を受けての急遽受診した日から初めての受診日でした。

カウンセリングでは改めてあの特大爆弾の話をしました。私が特大爆弾を受けて感じたことに関しても「受診した日に先生が言ったことと同じようになるかもしれませんが、楽しかったことはなくならないし、今まで回復してがんばってきたこともなくならないですよ。」とたくさん励ましてもらいました。

診察では、胃痛が続いていることの他に精神的な状態も聞かれ、落ち込み気味な状態が続いていて更に落ち込むときもあることを話しました。

お薬はそのまま続けていこうということになりました。

 

今の私

日々胃痛に苛まれています。

胃薬を飲んでるから胃痛がなくなるということもなく、でも鎮痛剤はやめとくように以前言われたので、試行錯誤して、湯たんぽを使った温罨法での緩和に行き着きました。

辛いときは湯たんぽ抱きしめてますw

でも暖かくなってきたし、湯たんぽも卒業かな~って思ってます。

思ってる今も胃痛あるんですけどねw

もうほんとに、今度こそ!ほんとに!あとは回復するのみと思うので…

ぼちぼち、やっていこうと思います。

まずは胃痛が収まってお薬が減るといいなぁ。

 

こんな私の体験も、誰かの参考になりますように。

死にたくなったあの日から2年4ヶ月後の私

こんにちは~。

また先月もお休みしてすみません。

Xではお知らせしたのですが、

メンタルが追い付かなかったのと、手を負傷しておりまして、

ブログの更新をお休みさせていただきました。

まあ、正直今も万全ではないです。えぇ。

体調が落ち着いてきたかな~と思ってブログの更新を試みていますw

 

今回もどこからどこまで書いて、

どうやって簡略化するか悩みどころではあるのですが…

がんばります!w

ではでは、さっそく前回のブログ記事である2ヶ月前の振り返りから。

前回のブログ見返しながら、うっわ!懐かしい!ってなってます…w

 

 

前回の振り返り

カウンセリングにて「周りからのフィードバックを受けて、

慎重になりすぎてるんじゃないですか?」という話になり、

慎重になって考えすぎた結果、

体調不良と不安と慎重になることの悪循環に陥っていることに気付きました。

更にカウンセリングで話していく中で、

受診前の自分に戻ることへの強い不安があることに気付き、

カウンセリングの先生に「そこまで戻ることはないですよ。」と言ってもらいました。

胃痛などの体調不良が続いていることについては、精神的にも作用する胃薬を処方してもらいました。

その後、まだ微熱や胃部不快感、時々胃痛はあるものの、回復していっていました。

 

今回の受診日までの2ヶ月程の話

驚くなかれ!ブログ更新した日にすでに事件勃発です!

ブログにも度々出ている、

私がメンタルを崩す原因となっているあの人が今回も原因ですw

(そろそろ通称つけるべきかな…?でもメンタル崩す原因、基本あの人なんで!)

要は連絡が来たんですけどね。

妹に返事のアドバイスをもらってその通りにしてみたけど通じず…

余計神経を逆撫でされるという事態になってしまい…

まるで徐々に浸食されていくようにメンタルと体調が悪くなっていきましたねw

気持ちが塞いだり、胃痛がやってきたり、熟睡が短時間しかできず浅い睡眠が増えたり、嫌な夢を見るようになったり…

と、なかなかの弊害を食らっておりました。

胃痛もね、漢方も痛み止めも効かない凄まじい胃痛がきたりして…

翌日、精神科駆け込んで前回のブログでも書いてた精神作用もある胃薬もらいに行きましたね…。

先生に悪夢だの呪われてるだの言われたのにはさすがに笑いましたがw

就労移行支援施設に行くのも辛すぎる日があって…

でもどうにか行って、職員さんが気付いてくれて泣いちゃうこととかもありました。

精神的にいっぱいいっぱいだったことと、

趣味や推し関連の予定が多くあったのもあって、

デイケアにも全然行けていませんでしたね。半月ぐらい行ってなかったかな。

でもお陰様で気付けたことも色々ありました。

あの人のことを今まで理想化して見ていたことに気付いて、

それについてカウンセリングの先生と話して一緒に解釈していくことが出来ました。

あとは、どうやら負荷がたくさんかかると

解離や解離性多重人格と呼ばれる現象が起こるらしいということもわかりました。

まあ結局、主治医の先生とカウンセリングの先生に相談して、

原因のあの人からの主な連絡手段を拒否することで一旦の解決が見られました。

なぜ一旦なのかは後述しますね…w

そして、この2ヶ月の間に新しく精神病薬も増えました…

睡眠薬の量もまた元に戻りました…

胃薬が増えていたとはいえ、薬の量は減りつつあったのに…

うぐぐ…悔しい…!となりましたね~。

すっごく落ち込みやすくなってて、ちっちゃなことでも結構落ち込んでたんですが、

どうにか気持ちを持ち直し、いい意味で捉えるようにしてましたね。

 

今回の受診日の私

原因のあの人からの主な連絡手段を拒否した、と言いましたね?

なんとなんと!別のところを使って連絡が来ました!!草!!!

メンタル大荒れです!!!わーい!!!

ひとつ拒絶するだけでも私にとっては一大決心だったのですが、

どうやら相手には伝わってない?通じてない?らしく…

カウンセリングでは「そこまでしたくない…」とボロボロ泣いたのですが

結局、取れるであろう全ての連絡手段を拒否することにしました。

あとはもう、人づてに探るか、自宅に押し掛けてくるか、病院に聞きに来るか

という手段しかないという状態にしました。

もちろん、病院に聞きに来られても勝手に話すことはないそうですが。

怖いのは家凸だけです…。まじで来ないといいな…。そんなに暇じゃないと思いたい…。

お薬は全て継続です!

もうね、拒否したのに連絡来るという衝撃事件のせいでまだ薬の効果は感じてませんが

徐々に効果が出ると薬剤師さんに言われたので、頑張って飲み続けます。

 

今の私

やっと少しずつ落ち着いてきましたが、胃痛がヤバいですね~!

温かくするようにして労わっています。

これでも胃薬飲んでいるのですよ…。めちゃくちゃ痛いんだけど…。

まあでも、あらゆる連絡手段を絶ったので、おそらくもう事件は起きないでしょう。

…そう信じたい。

だから、あとは回復するのみなはず!無理せずがんばるぞ!!

と胃痛を耐えつつ思っておりますw

 

こんな私の体験も、誰かの参考になりますように。

 

ではでは。

みなさん、メリークリスマス☆

そして、良いお年を!

また来年~(*'ω'*)ノシ

死にたくなったあの日から2年2ヶ月後の私


こんにちは。

前月は更新お休みしてすみません。

 

Twitter…じゃなくて、Xか。

そっちではお知らせしたんですけど、

ちょっと色々立て込んでまして…

精神的にも、体調的にも、物事の進展的にも、

ブログにまとめられる状況じゃなかったので、お休みさせて頂きました。

 

ひとまず落ち着きまして、

体調はお薬飲みつつ様子見って感じなんですけど

ブログにまとめることはできそうなので更新することにしました!

 

正直どこからどこまで書いてどう簡潔にまとめるか悩みどころではあるのですが…

激長になりそうです(∩´﹏`∩)

とりあえず、遠い昔のような記憶に感じますが、前回のブログの振り返りから!

 

 

前回の振り返り

超絶平穏な時期を奇跡的に過ごした私。

カウンセリングにて、デイケアに行くことを頑張ろうとしてて、そもそもデイケアに頑張って行こうとしなくていいと気付かされます。

生産性ばかり求めず、何もしない日も大事と気付かされました。

睡眠薬は、眠気を感じ始めていることから1mg減りました!

気になっていたADHDチェックシートも、ADHDという診断にはならないという結果でしたね〜。

就労移行支援の通所日を1日増やそうかななんて考えてもいました。

 

今回の受診日までの2ヶ月程の話

まず、ブログを書いた数日後から事件勃発します。

すっごい簡潔に言うと、就労移行支援事業所のある利用者さん(Aさん)が好意をチラつかせながら話しかけてくる、なんですけど…。

1日目は「まあ、何かしらの障害がある人が来る場所ではあるし、なんか一時的な気まぐれかも!気にせんとこ!」ってスルーしたんです。

んで、就労移行支援事業所の職員さんに「通所を1日増やそうかなと思って…」っていう相談をして、増やすことが決まったんですね。

で、また通所日に就労移行支援事業所に行きます。そしたら、Aさんがまた好意をチラつかせながら話しかけてくるんですよね。おやおやおや?ってなって、とりあえず職員さんに報告と相談をしました。どうやら女性と見るや誰にでも好意をチラつかせる人らしく…上手く躱すこととあまり気にしなくていいというアドバイスをもらいました。

ここで一旦受診日がありました。

カウンセリングで就労移行支援事業所の通所を増やした話やそこでの人間関係の話をしました。診察では「頑張りすぎないんだよ。」と念を押されましたねw「無理したらそのままズドーンと行くと思ってるんで…」と言ったら真剣に頷かれたので、尚更、無理しないようにしよう…!と思いました。

思い返すと、この受診日くらいから体調に違和感を感じ始め、メンタルの調子も不安定になり始めたように感じています。まあ、当然のように当時は自覚ないんですけど…w

それから数日後に就労移行支援事業所の職員さんとのモニタリングもありました。「めっちゃ頑張ってますね。職員からも言われたでしょ?サボるくらいでいいよって。一応ブレーキをこっちからかけるようにしてるけど…。自分ではどう感じてますか?」と聞かれ、自分では頑張ってる自覚がなくむしろもっと頑張らなきゃと思っていた事を話しました。その後も食事や睡眠についても聞かれ、人間関係も聞かれたのでAさんのことについても話しました。

まあ、Aさんは相変わらず好意をチラつかせながらやたら話しかけてくるんですけど、職員さんも様子見つつ時には間に入ってくれていました。

それからしばらく胃の調子がどうにもこうにも…と思いながら胃薬と痛み止め飲みながらやり過ごしてましたね。

胃の不調をあまり深刻に考えず、そのうち良くなるだろうと放置していたある日の朝、なぜか目眩を起こして…でも大したことないと思い込んで就労移行支援事業所に行って、作業しながら、あれ?やばいか?一応報告だけしとくか?と報告し「とりあえず一旦休憩しましょう。」言われ休むも回復せず。結局、就労移行支援事業所を早退して、その足で精神科へ行って受診しました。カウンセリングにて「就労移行支援事業所の通所日が増えたこともあって、疲れが出たのかもしれませんね。」という話になりつつ、Aさんの言動が過去の記憶と結びつくことを話すと「過去と向き合っているところなのかもしれません。それ自体は必要なことではあるのだけど、それが負担にはなっていて、身体症状として出ているのかもしれませんね。」という話になった。診察でも先生に心配そうに声を掛けられ「ゆっくり休みな。前進ばかりしなくていいんだよ。後戻りしてもいいんだよ。」と言われました。その日はとにかくゆっくり横になって休んだおかげか、目眩もその日のうちに収まりました。

それでも胃の不調は続き、また精神科に受診をして胃薬を処方してもらいましたが「これ飲んでダメだったら…胃腸科行ってね。」と言われました。

そして、その処方された胃薬がなくなりそうになった頃には、既に胃の不調を感じてから3週間以上経過していたのですが、症状は良くならず…結局、胃腸科を受診しました。触診、血液検査、エコー、胃カメラまでして、胃の動きが悪い他に異常はなく、先生からも「ストレスだろうねぇ…。」ということで、一応胃薬は処方してもらったけども…という感じに。

更に、どう考えても自傷行為なんだけど、たまたま見つけた小さな口内炎を自分で食いちぎって口内炎を拡大するっていうことをしたせいで、腫れまくって激痛に襲われるはめに…w妹に話したら「え?まじで何してんの?」って言われました!草!まあ、口内炎は抗生剤飲んだおかげで劇的に治ったんですけど、抗生剤飲んでやっと治る口内炎って冷静に考えたらヤバいですね?w

そして、そのタイミングで、ふと「あれ?そういえば相談支援員さんとの連絡ってどれくらいするものなんだ?」となりました。

まあ、これも以前から担当の相談支援員さんを信用出来てなかったんだけど、それに加えて、お友だちから聞く相談支援員さんの話から「そんなに信用できるもん?」ってなったり、デイケアで相談支援員さんの話をしたら「え…?」って困惑した反応をされたりしてて、正直大丈夫かな〜?とは思ってたけどめんどくさいなってスルーしてて、でもなぜか!そうなぜかここに来て!この胃の不調というストレスからくる身体症状が数週間続いているタイミングで!ふと気になってしまったのですよ…。今思い返すと、まじでなんでこのタイミングやったかな?アホなんか私は?ってなりますね。

で、就労移行支援事業所の職員さんに「相談支援員さんとってどれくらい連絡取るものなんですかね?」って聞いてみました。「最初の3ヶ月は毎月モニタリングで、その後は3ヶ月ごとにモニタリングかな。」

…んんーーーーー???私、最初の3ヶ月連続のモニタリングされたことない(前のところも今のところも)し、7月にモニタリングしたけど5分で帰って、来月もするってその時言ったのに音沙汰無しのままだな〜?うん〜〜〜???…え、やばい?というかすべき仕事すらされてないのだとしたら本当に信用出来ないな…。

そう思いまして、とりあえず妹に「どう思う?」って相談しました!やはり妹も「信用できないね。なんか、急に辞めていなくなりそうじゃない?」と言っており「それって替えてもらうこと出来ないの?聞いてみたら?」とアドバイスしてくれました。替えられるかもしれないけど、正直めんどくさいなぁという気持ちもあり「それか…諦めるか…」と言ったら「いや、絶対諦めない方がいいと思うよ。替えた方がいいよ。」という力強いアドバイスに押されて、相談員さんを替えるべく動き始めました。

就労移行支援事業所の職員さんに相談して、市役所に相談して、意を決して担当の相談支援員さんの事業所に替えたい旨を伝えるお電話をしました!

事業所に掛けたのは、担当のご本人じゃなく他の職員さんが出てくれたらいいなぁと思ったからなんですけど、淡い期待は砕かれ、ご本人が出ましたね…。嫌だな言いづらいなと思いつつも、勇気を出して「相談支援員さんを替えたいと思って連絡しました。」とお伝えしました。

電話での会話、正直めちゃくちゃ胸糞悪かったんですけど、感情は別として、この電話で判明したことをお伝えすると…この電話をした翌日にその事業所を退職する予定で、独立して電話番号も変わると言われました。しかもこの後関係各所に相談の連絡をしたら、この相談支援員さんが事業所を退職して独立することも、電話番号が変わることも誰も知らなかったんです。誰もですよ。びっくり。電話番号変わるのにそれを伝えてないとか、電話して繋がらないってなったらどうするつもりだったんでしょうね?まじでほんとに相談支援員を替えることに決めて良かったです。

そんな相談支援員さんとの電話をした後の週末、体調大荒れでした。謎の吐き気と微熱に苛まれ、微熱も何故か37℃以上にはならないけど暑いという状態。しかもその週末からしばらく微熱(37℃は何故か超えない)と胃部不快感と時々胃痛に悩まされているという…。

なんとか新しい相談支援員さんが決まり、仲介してくださっている相談支援員さんと面談して、なんとか今後は順調に進みそうではあります。とにかく新しい相談支援員さんがまともな人で最低限ちゃんと仕事してくれる人だといいな…。

 

今回の受診日の私

体調不良が続く中の受診日でした。

カウンセリングでは色々話す中で「周りからのフィードバックを受けて、慎重になりすぎてるんじゃないですか?」と言われて、めちゃくちゃ思い当たる節がありました。小さな決断にも慎重になるようになったし、正解が分からなくてなかなか決断できないことも増えていた実感がありました。考えすぎて体調が悪くなって、体調のせいで不安になって、また慎重になって考えすぎて…という悪循環にハマっているのかもしれないとその時に気づきました。更に話していく中でハッと気づいて「怖いんだ。ちょっとずつだけど回復して前に進んできてるのに、頑張りすぎて崩れちゃって、マイナスまで戻っちゃうのが怖いんです。」って泣きながら言いました。「9月の記録に先生が『前に進むばかりじゃなくていいんだよ。後戻りしてもいいんだよ。』と言ったと記録に書いてありますよ。」って言われて、「それを言われたことを覚えていたけど、それでも不安になってたんだなって…。ちょっと戻ったり崩したりするぐらいならいいけど、一昨年の8月まで戻るのが怖いんです。」って言ったら、「そこまで戻ることはないですよ。何を根拠にって思うかもしれないけど、今はもう孤独じゃないじゃないですか。だから、そこまで戻ることはないという保証を持っていいんです。」って言われて、安心しました。

診察では「体調不良が続いてるんだね…。」と先生に声掛けてもらい、胃痛が辛いことを伝えて、「じゃあ、精神的にも作用する胃薬出しとこっか。痛み止めはね、飲まない方がいいよ。胃の粘膜を減らして逆に良くないから。今日出す薬で痛みもなくなるはず。微熱も無くなるかもよ。やっぱりね、自律神経だと思うからね〜。」とお薬を出してもらいました。微熱も続いているので、安心材料ということで念の為採血をして帰りました。

 

今の私

処方されたお薬のお陰で、胃部不快感は落ち着き、胃痛の頻度もだいぶ減りました!

微熱も胃痛もまだ時々出るけど、あまり囚われすぎず、適度に休んで、ぼちぼちがんばろ〜ってしてます。

精神的にはそんなに落ち込んでるとかはないんですけど、メンタルからきてるんだろうなって感じの体調不良がとにかく辛くて…体調悪いと気持ちも落ち込み気味になるじゃないですか。

まじでほんとに体調悪いことが続きすぎて、死んだ方が楽だわって思いました。

生きてたの偉すぎです。

リスカの痛みで酷い吐き気が上書きされんかな?とか考えてました。

今考えると意味不明すぎますね…。リスカしなかったのも偉い!口内炎は食いちぎって拡大したけど!

体調が良いとは言いきれず、色々我慢してることもありますが、楽しみな予定はいーーーっぱいあるので、それを希望に無理せずがんばろうと思います!

 

新しい相談支援員さんと無事契約して安心できるようになったら、相談支援員さんを探す話とか、就労移行支援事業所を探す話とかをまとめようかな…?と考えてはいます。やるとは言いきれませんが!w

 

こんな私の体験も、誰かの参考になりますように。

死にたくなったあの日から2年後の私

 

こんにちは。

 

2年!!!経ったぞ~~~!!!

よく生きてた!!!えらい!!!天才!!!がんばった!!!

 

すーっかりブログの更新を忘れw

昨日ハッと気付き、でも書くことあるか?と延期にするか考え

いやいやいや、

2年経ったんだっての!

てか、ADHDのチェックシートをした結果書かなきゃでしょ!!

と思って更新してますw

 

 

前回の振り返り

メンタルの調子を崩したけど、原因を把握し、

カウンセリングの先生の先生に相談しつつ、なんとか回復!

といったところで受診して、落ち込んでた時の話したら

まさかの「ADHDみたいだね…」と。

ADHDのチェックシートを渡されてすることに。

不安にもなったけどメンタルが不安定になるのを回避し、

引き続き就労移行支援施設へ通所していました。

デイケアにも行きたい気持ちはあるけど、なかなか…という状態でした。

メンタルも気力も体力も少しずつ回復しているのを実感しつつ過ごしていました。

 

今回の受診日までの1ヶ月程の話

メンタル、気力、体力の調子に差はあれど、

大きく崩れることもなく比較的平穏に過ごせていました。

就労移行支援施設へも休まず行けてました!素晴らしい!

就労移行支援施設でスタッフさんとモニタリングがありました。

通い始めて実際どうか聞かれたり、日数を増やしてみるかって話も出ました。

とりあえず、日数は増やさない方向で

次のモニタリングで検討しようという話になりました。

 

今回の受診日の私

まじで平穏すぎて、

どうしてもカウンセリング必要って程じゃないし今回パスでいいのでは?

と前日に思ったほどでした。

でも、睡眠薬がなくなってしまうことと、

何もないときほどカウンセリングで深掘りするチャンスでは…?と思い

受診しました。

カウンセリングでは

「深く落ち込むことはないけど、気力・体力に差があって、気力がわかない日がある。あとは、就労移行支援施設に行く前日や当日朝に緊張と不安があるときがあるけど、慣れてきたら落ち着くかなってあまり重要視はしてない。」って話しました。

就労移行支援施設に行く日数を増やす話が出たかと聞かれたので、

モニタリングがあったことを話し、

「通所当初は、就労移行支援施設とデイケアを並行して行くって話だったけど、デイケアにあまり行けてなくて、デイケアに行けるようになってから就労移行支援施設に行く日数を増やしたいと話した。」と話しました。

そしたら、

デイケアには十分来れてますよ。就労移行支援施設に行くことを第一と考えて、デイケアは息抜き程度に来るって考えでいいと思いますよ。」と言われ…

そこで初めて、無意識にデイケアにも頑張っていかなきゃと思って

頑張っていこうとしていたことに気付きました。

「家でダラダラ過ごして生産性のない時間を過ごすことも悪いことではないんですよ。あまり生産性ばかり求めないでくださいね。」と言われましたw

正しくそうw

度々メンタルを崩す原因となっているあの人とのことも聞かれ、

とりあえず距離を置いて無視している現状を話しつつ

「ずっとこのままも良くないと思うけど、ひとまず無視をやめるタイミングを図りかねています…。」と伝えると

「まだいいと思いますよ。」と言われました。

診察では、最近の調子と就労移行支援施設はどうか聞かれ、

その後に「寝れてる?」って聞かれました。

なので「最近眠気がある日があって、ベッドに寝てみるけど眠気がさえてしまうんですよね。でも、前より入眠できるまでの時間が短くなって、すっと眠れるようになってきました。」と話しました。

すると「お薬どうする?同じでいい?」と聞かれて

減らしてみるか悩みつつどうすべきかという視線を先生に向けると

「1mgにしよっか。」と言われ

錠数は変わらないけど、減ることに!また一歩前進!

一度終わって診察室を出たんですけど、

出た後にADHDの結果聞いていないことに気付き、看護師さんに聞いてもらいました。

それで看護師さんづてに結果を聞いたんですけど

「有効な結果は得られなかった。」とのことで、あまり理解できず…w

結局先生にチェックシートを実際に見せてもらいながら説明してもらいましたw

そしたら、該当する部分に決まっている数以上のチェックがなかったのでADHDという診断にはならなかったということになりました!

正直、よかったぁ~と一安心しちゃいましたw

診断が下ったからって今までもそうだったし、何も変わらないんだけど、

なんというか…覚悟のようなものをしなきゃいけない気がしてて

該当しなかったと聞いてほっとしましたね…。

 

今の私

睡眠薬がちょこっと減りましたが、変わらず寝れてますね!

入眠の早さも変わらず。

むしろ、早すぎるのではと思うくらいなので、

更に減らしていいのかもと悩んでいるところです。

でも相変わらず眠気が来ない日も多いので手放すのは無理そう…。

就労移行支援施設も変わらず休まずに通所しています。

相変わらず不安な日もあるけど…

たくさん褒めてもらいながらがんばってます!

来月には1日通所日数を増やそうかなぁなんて考えてます。

順調に回復してて嬉しい!

このまま順調に平穏にいきたい!

来月も平穏な報告ができますように!

 

こんな私の体験も、誰かの参考になりますように。

振り返って気付いた精神科通院前の私のヤバさ

 

こんにちは。

以前、なんとなく精神科通院前に個人的に残していた記録の数々を見返しまして…

それを見返して、え!?私こんなやったっけ!?よく回復したなぁ!?って思ったので、そのことをブログに書いていこうと思います。

 

 

概要

精神科通院を始めるまでの私という記事にも書いてますが、低い自己肯定感と希死念慮の自覚症状を持ち、日々を過ごしていました。

自覚がある範囲で最初に死にたいと思ったのは中学生の頃。

その後も希死念慮は続き、精神科を初めて受診するきっかけとなった数年前、毎月のように激しい希死念慮に襲われるようになりました。

今回見返したのは、その毎月のように襲われていた激しい希死念慮の記録です。

その記録に主に残されていたのは、その時あったこと、それから、各種SNSに投稿していた私の心の叫びです。

今回は、その各種SNSに投稿していたものの一部を公開したいと思います。

 

注意喚起

これらの投稿は、

基本的に誰も見られないか、見られる人が限られる場所でのみ投稿していたものです。

希死念慮の強い吐き出しが主なので、

気持ちが引っ張られる人は回れ右した方がいいかも…。

それか、目次の<今の私>までスキップしちゃうといいかも!

こんな状態だった人も回復できたのね!って希望になる、と信じたい!

先に言っとくけど、

今はこんなに希死念慮強くないので!!ご安心を!!

 

各種SNSへの投稿内容

 

誰か教えてください。なんでみんな、当たり前のように生きる努力ができるんですか?当たり前のようにお仕事頑張って、社会生活を送っていけるんですか?なんか、もう、理解できないんで、教えてください。

 

好きなこともある、やりたいこともある、そのために頑張ろうと生きようと思える理由はいくつもあるはずなのに、それでも、できることなら早く死にたいし、生きていくことが苦痛で、なんで周りの人は当たり前に生きていくことができるかわからない。

 

もう、正直、本当に生きているのが辛い。これ以上歳を重ねることに恐怖しかない。何十年後も自分が生きていることを考えると、気持ち悪くて仕方がない。

 

今すぐにでも腕をぶった切って死にたいのに、それでも毎日生きる努力をしていることが意味が分からなくて苦しいし辛い。ご飯食べて、仕事して、次の仕事探して、…そうやって頑張ったって、私、どうせ死のうとしてるんだよ?無駄じゃない?

 

こんなに頑張ってなんになるんだろう。いいから早く死にたい。そんな気持ちが強い。

 

苦しいから、心臓を握り潰せたらいいのにな。

 

唐突に、生きていくことが怖くなる。カレンダー見るのが怖い。月日を重ねるのが怖い。まだ、生きていかなきゃいけないのかって思ってしまう。そんな事で泣くなんて誰も想像出来ないだろうし、それでも笑顔でなんでもないフリして、私、何してるんだろう。

 

唐突に落ち込むし、病むし、そのついでに「なんで生きてんだろ…」ってなるのやめていただきたい!!!!!いいから生きろよって言ってそれに猛反発するのも疲れるからやめていただきたい!!!!!

 

幸せだと思える瞬間で時が止まって、そのまま死ねたらいいのになぁ。頭の中では死にたいでいっぱい。他のことで嬉しくなったり楽しくなったりしても、すぐに「死にたい」が頭の中を占拠する。早く死にたい。

 

幸せな気持ちになって、楽しい気持ちになって、その後には「死にたい、殺してくれ」って病んでしまうなら、もう生き続けられるような解決策はないじゃんね。

 

希死念慮が強すぎて意味が分からん。泣くほど死にたいって何。希死念慮がなくなったら楽になるの?でも、希死念慮がなくなったらどうやって生きていけるの?「死にたいけど生きなきゃ」で今やっと生きてるのに、希死念慮なくなったら生きたいって思えるの?もうわからん。

 

自傷行為を抑えるのに必死でなんでこんなに希死念慮が強いのかもわからない。ただただ苦しい。ただただ辛い。もう何もわからない。

 

「生きることは義務じゃない」って言い切るなら、私をこの義務感から解放して死なせてくれ。

 

死にたいんですよ。分かります?死ぬ勇気ないとか、そんなことなくて、もういつ死んでもいいぐらいの気持ちなのよ。でもね?どこで死んでも迷惑掛かるじゃん。慰謝料請求がきっと家族にいくの。その他あらゆる請求もいくの。私が自殺したって事実だけでも家族を追い詰めちゃうだろうに、それプラス色々請求されてみ?家族が死ぬじゃん。他の人にも迷惑掛かるじゃん。って考えたら死ねないの!!請求予想額以上を貯めて死にてえよ!!そこまでしてから死んだら、家族も自分のせいだって責めないでしょ?少なくともメンタル死なないでしょ?てかそういうことにしてくれ!金を免罪符にして死なせてくれ!!

 

どこでどうやったって死のうと損害賠償請求されたりする。自ら命を絶つことを許されないこの世界ではやっぱり生きることは義務だと思うんですよね。あらゆる側面において生きることを強要されている。でも私は、一刻も早く死にたいし、そう思いながら50代も80代も寿命を迎えるまで生きてるなんて、おぞましくて無理。

 

私が一番私に死んで欲しいんだよ。

 

信頼できる人に「家族のこともお金のことも全部まるっと後のことはしておくから死んで大丈夫だよ」って言われたら、今すぐ喜んで死にたい。

 

何かを考えようとしだすとすぐ思考が「死にたい」って方向に向かう。何もする気が起きない。

 

やっぱこの時間がダメだわ。出勤中は大丈夫なのにな。仕事じゃない時間になるともう全然ダメだ。泣きたい。苦しい。死にたい。早く早く早く死にたい。

 

頭の中で、死にたい死なせろって叫んでる。男の人のような声と女の人の声。

自傷行為がしたい衝動と破壊衝動がすごい。スマホ頭で叩き割りたくなった。なけなしの理性頑張って。

言いようのない興奮状態。叫びたい。暴れたい。傷付けたい。

叫ぶのも、暴力的な行動も、自傷行為も、泣きながら抑えるしかない。こんなん、誰にも理解出来ねえだろ。

頭を抱えると、頭を殴り続ける映像が流れる。

手首を包丁で突き刺しまくってる映像。頭の中で殺してって叫ぶ声。

自分で自分を傷つける行動がずっと脳裏に流れてる。

そういえば、過呼吸気味になってる。

次は、背中を包丁で突き刺しまくってる映像。

苦しすぎて狂気じみた笑いが込み上げる。たすけてって言っても同じように笑いが込み上げる。

次は、手を包丁で突き刺しまくってる映像。

結局、過呼吸で意識失うように寝た。

相変わらず起きていることが苦痛。

 

え?死にたい死にたい死にたい死にたい

自分で自分の首へし折りたい。

死にたい死にたい死にたい死にたい

 

たぶん、もうずっと、限界を越えてて、でも、たぶん私、気付いちゃいけないことに気付いてしまって、そしたら、きっと、止めるものがなくなっちゃって、おうち帰って、色々やること済ませて、落ち着いて、それでも気持ちが変わらなかったら、私、死ぬのかもしれない。

生きなきゃいけないとしたら、何を糧に理由に、生きればいい?もうこれ以上は歩けない。

限界だ。

ごめん。限界かもしれん。こんな時に助けてと言える人も、助けてもらえる人もいない。もう、どう抑えたらいいのかも分からない。理由がない。抑える理由がない。死んじゃいけないのは分かる。死んだら悲しむ人がいるのもわかる。でも余計なことに気付いたから、理由がなくなってしまった。どんなに死にたいのを我慢して頑張ったとしても、いっぱい頑張っても、私は報われない。生きたくない時をただ生きるだけ。だったらもう今死にたい。

 

これ終わったら、眼鏡洗わなきゃなとか、寒くなってきたからそろそろコタツだそうかな、明日コタツ用の布団洗濯しようかなとか、平然と明日以降も生きる前提のことを考える部分だって残ってる。寒いしお湯浸かりたいな~とか。不思議。でも、頭の片隅では手首を包丁で切り落とすことを考えてる。

 

明日も自分が生きてることを想像するだけで気持ち悪い。だけど、そんな感情を分かれという方が難しいと思う。

 

死んだら嫌なんて言われても嬉しくない。なんでそんなこと言うのって思っちゃう。死んだら嫌だなんて言われて、死にたい私はどうしたらいいの。立ち上がる元気もなくて、どうしたらいいの。

 

一刻も早く死ななきゃって気持ちはやっぱり消えないよなぁ。あと数日で28ですって。28年も自分が地球上に存在してるなんて考えるだけでおぞましいね。

 

しにたいね。唐突にね、首を絞められるイメージが頭に浮かんだよ。…よっぽど歳を重ねたくないんだなぁ。

 

怖い。一つでも歳を重ねるのが怖い。もう28年も自分が生きていることが気持ち悪い。こうして年を重ね続けて、30代も40代も生きてるの?怖い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。吐き気がする。この先も生きているなんて、考えるだけで吐き気がする。気持ち悪い。…こんな感情、誰が理解できるの。

 

私が私の事一番憎いよ。頭の中で何度も私を殺してる。首を叩き切って、骨を折って、殴って潰してグチャグチャのボロボロにして、そうして何度も痛めつけて殺してる。

 

生きてていいよって言われたい。でも、そう言ってもらえてもそれを信じられなくて、誰かが私に生きててほしいと言っても、私が私に死んで欲しいの。自分で自分の頭を握り潰したいほど、気持ち悪くて憎くて堪らない。頭の中で何度も私が私を撲殺、斬殺、絞殺…あらゆる方法でなぶり殺してる。

 

頭の中が無理で占拠されてる。握力あったらこのまま顔面粉砕して死にたい。

 

心臓握り潰したい。自分で自分を殺せたらいいのに。自殺じゃなく他者視点で自分を殺せたらいいのに。そしたら、思う存分いたぶって殺すのに。

 

また死にたい病。何もかもどうでもよくなって死ぬ事が最善策と思うビョーキ。「死にたい」以外考えられないビョーキ。頭の中で、私が私を何度も殺すビョーキ。多重影分身して私をなぶり殺したい。

 

どんなに嬉しいことがあっても、どんなに楽しいことがあっても、やっぱり「死にたい」って気持ちには勝てないんだなぁ。

 

まだ生きてんの?なんで生きてんの?早く死ねよ。私だって早く死にたいよ。

 

私が存在しない世界線に行きたい。嫌い。早く消えて欲しい。

 

死にたいって何度言っても足りない。死にたい。死にたいな。なんで生きてるんだろ。何のために生きてるんだろ。こんなに死んで欲しいのに、なんで生きてるんだろ。

 

死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい。死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。死にたい。

 

ずっと地獄。生きてる間ずっと地獄。世界で一番憎い私が生きてる地獄。早く死んで欲しい。死んでも地獄なら早く地獄に行きたい。どうせ生きてても地獄。早くこの憎い肉体から離れたい。私という存在を抹消したい。この世界から抹消したい。

 

とにかく自分が嫌いで、死にたいと思ってました。

嫌いって言葉じゃ収まらないですね。

本当に、世界で一番自分が憎かった。

この世の誰よりも憎くて、散々いたぶって殺したい程憎かった。

地球上に自分が存在していることが許せなかった。

定期的にその気持ちが激しくなり、その気持ちを吐き出していました。

吐き出して必ずしも楽になることはなかったけど、気持ちの整理には役立ったし、記録としてこうして振り返られるのも良かったなと思います。

 

今の私

ご安心ください!

今の私はここまで死にたい気持ちを抱えてないし、自分のことを憎んでもいません!

生きたいとまでは思えてないけど、生きていかきゃなぁとマイペースにがんばれているところです。

これも治療のお陰!だと思います!

改めて記録を見返して、こうしてブログに書いてみて、あの頃の私相当ヤバかったんだなぁと思いました…。

死にたいしか考えてなかったんだなぁ…と。

よく生きてた、まじで。

そんな私でも、回復に向かっていることは希望だと思うので、今、とにかく死にたいと思っていてもどうにかなる手立てはあるよ!と伝わればいいなぁと思います。

こんな私の体験も、誰かの参考になりますように。

2年前の私へ。そして、1年後の私へ。

それまでに感じた以上の想像にし難いほど強い希死念慮に襲われた、

2年前のあの日の私へ。

 

生きてます。

 

そう言ったら、2年後も生きてるなんて、と驚きますか?

それとも、

それまでがそうだったように、死という亡霊にとりつかれながら

大切な人たちのことを想って生きているのだと納得しますか?

 

でも驚くことに、

今の私は死という亡霊に悩まされていません。

 

あれほど精神を蝕み、生活を脅かした希死念慮

今は悩まされていないなんて聞いても、きっと信じられないでしょう。

正直、今の私も信じられていないし、

いつまた希死念慮がやっていくるかという不安はまだあります。

だけど、

あの日から生きるとか死ぬとかそんなことどころか

楽しいも嬉しいも悲しいも感じなくなった空虚な日々の後、

私は、少しずつ、そして着実に回復し、今を生きています。

 

更に驚くことに、

希死念慮に駆られるたびに足枷となって私を引き留めていた大切な人たちの存在は

今でも生きる糧であり大切なことは変わらないけれど、

その人たちのためだけに生きようという気持ちではなく、

自分のために、自分がしたいように生きようという気持ちで

大切な人たちと推しと好きな事を生きがいに生きています。

 

やっぱり落ち込んだり

死にたいって気持ちがよぎったり

気力がわかなかったり

理由もなく生きてることが辛いと思ったり

そういう時もあるけれど…なんとか乗り越えて生きてます。

 

私が生きているのは、

大切な人たちに明確に「生きて欲しい」と言われたのが一つのきっかけなのと、

あとは、精神科の人たちのお陰です。

 

これまでは、生きていて欲しいんだろうなって憶測で頑張って思い込んで

どうにか踏ん張って耐えて生きていたから

明確に言われて、本当にそうだったんだって肩の荷が下りたのかもしれません。

 

精神科の先生も、カウンセリングの先生も、看護師さんも、相談員さんも、

よく話を聞いてくれて、受け入れてくれて、味方になってくれて、

いっぱい助けられて支えらているなと感じています。

メンタルやばいかも!って思ったら、すーぐ病院に駆け込んでいるので、

それまでの私では考えがたいほど頼っていますね。

 

大切な人たちにも、今まで以上にすっごく支えられています。

それまで話すことなく一人で抱え込んで戦ってきたものを

あの日をきっかけに話すことになってしまって、

負担にならないかなとか今でも考えてしまうけれど、

でもお互いに負担にならない程度に支え合っていると私は思っています。

むしろ、お陰でもっと他愛のないことも話せるようになったし

もっと仲が深まったと私は感じています。

相手を守りたい程、自分を守りたい程、壁を作っていたのかもしれません。

でもいい塩梅に壁がなくなって、よかったなと思っています。

 

あの日の後の空虚な数日間に

早く社会復帰しなきゃと、早く働かなきゃととにかく焦っていたけど、

その一方で、

自分に何が出来るのか、何もできないんじゃないかと不安に思っていたのを

よく覚えています。

 

あれから、ゆっくりいっぱい休んで

少しずつ家から出る練習をして

少しずつ気力と体力、それから自信を取り戻して

今は社会復帰を目指す一歩を踏み出しているところです。

 

本当に、2年前までの自分を思うと

今の自分のことはとてもじゃないけど信じられなくて

本当によく、回復したなと思います。

 

唯一の後悔は、もっと早く精神科に行っておけばよかったのにということ。

そしたら、

まだいけると自分を追い込み続けてあの日を迎えることもなかったのになと

…思うけど、私だからな。可能な限り無理するよね。

認めることも、変わることも、怖かったから。

だから、ヤバいかなと思って受診してみても逃げ出して勝手にやめたし

自分でどうにかしようとした。

きっと自分を過信していたし、最悪無理でも構わなかった。

だって本当にいつ死んでもいいと思ってたから。

生きることに未練なんてなかった。

それは残念なことに今も変わらないのだけど…もうちょっと前向きです。

なんだろう。

言葉にして表現するのは難しいけど…

生きることは辛いことだし

今だって死に直面したらきっとすんなり受け入れるけど

死に急いではない、という感じかな。

ゆったり、マイペースに、私なりに生きようとしてます。

前よりは生きる努力を苦に感じていないかもしれません。…たぶんw

 

2年前より回復してきているとはいえ、まだ道半ばです。

できないこと、調節中なこと、対応策を模索中のこと、色々あります。

もっと色々出来てたのになー、とは正直思います。

だから、回復しろよ!って思うこともあるわけで…

そんな時は、ちょっとずつ回復してきてるから落ち着けよって思い返します。

 

今の私が信じられないから

2年前の私はもっと信じられないと思うけど

生きるの、悪くないです。

いやいや、こんなこと言ってる自分に驚き。

あんなに生きたくなくて、死にたくて死にたくて、死にたかったのにね。

 

さてさて、1年後の私はどうですか?

今も、生きるの悪くないですか?

楽しくなってきちゃってたりするのかな?

…想像できない。

 

個人的希望としては、社会復帰できててほしいです。

障害はオープンにしたのか、クローズにしたのか。

どちらにしても、きっと私は希望通り一般就労するでしょう。

是が非でもしたいと思ったことはする、そういう人間です。

そんなこと言って、まだ就職できてなかったら

うーん…ってなるなぁ。

でも、その可能性もあるよなぁとは思ってます。

ここまで回復するのにだって2年かかってるんだし

社会復帰するまでに1年で済むとか…むしろ無理してる可能性ある。

 

無理したら、そのまま転げ落ちると思ってるので

無理だけはしないで欲しいし、しないようにしたいという気持ちです。

そう考えると、やっぱり2年かかっちゃうのかなぁ…。

早く自力で稼いでもっと自由にお金を使えるようになりたいと

めちゃくちゃ気持ちは急いています。

急いたところで…とはちゃんとわかっているんですけど。

だから、

無理しない!って言い聞かせて

無理してない?って何度も聞かれて

無理してないよね?って自分で確認して

とにかく無理しないようにがんばってます。

 

1年後の自分に一番気になることは、やっぱり社会復帰の話だけど…

うーん…他にあるかなぁ?

 

あ、今も推しは変わらずですか?

aikoモーニング娘。特に小田さくらちゃん。

あと、猫八あまゆさん、まめ吉太郎ちゃん。

SixTONESは結局沼にハマりましたか?w

(ちょうどニューシングル買うか悩んで、やめて、沼るのを回避した)

小田はまだ卒業してないといいなぁ…卒業しちゃったのかな…。

逆に推しが増えたとかありますか?

これ以上推しが増えたらお財布ヤバそうだけど…

だからSixTONES沼も回避したし

まあ、強く生きてね☆

 

一番の問題として抱えてるのは、あの人なんですけど(分かれ)

その後、どうなりましたか?

今はインスタをミュートして、ラインもミュートにして無視してます!w

まだまだメンタルが安定せず不安があるので、

極力関わらないようにしようみたいなスタンスでいるけど…

それから進展はありましたか?

現状では、

いつまでも関わらないスタンスでいるのは無理だよなぁ…と思いつつ

今は無理!と思って無視しているし、

一方で結局このまま極力関わらないスタンスになるのでは?とも思ってます。

(詳細書かないけどがんばって思い出して!)

こうなってほしいとかは…今はもうないです。

あったけど、無理なんだなぁと思ったし、

理想像のために努力する気持ちも力もなくなってしまったから。

でも、どうなってるのかだけは…気になるところです。

今の私に言えることは、

あまりあの人に縛られすぎずにね、ってこと。

難しいのは、百も承知です。

せめて、対応策がわかってきているといいなぁ…。

 

そんなところかな?

最近は強い希死念慮もないし、それなりに快適に生きてるけど

果たして1年後はどうなのか…。

もっと快適に生きてるといいな~!

切に願うのは、希死念慮が来ていませんように!ってこと!

死がよぎるくらいならあると思うしセーフだと思うけど

希死念慮はもうご勘弁いただきたい。

 

1年後の私がこれを読んでどう思い、どう返すのか…

それは1年後の私のみ知ることですね。

幸せでありますようにと言われて、それを受け入れられるかは分からないけど

そうであったらいいなと思うし、

幸せじゃなくても、

生きるの悪くないなって引き続き思ってるといいなって思います。

 

締めの言葉が分かりません!w

1年後が知りたいから、とりあえず生きててね!

ふぁいと!

 

私より。

死にたくなったあの日から1年11ヶ月後の私

こんにちは。

暑いですね!

暑さとゴミ屑メンタルと闘いながら生きてます!えらい!

ちっちゃなことでも何かを出来たときに自分を褒めるようにしてます。

ご飯食べた!えらい!とかね。まじでその程度のことです。

めっきり暑くなってきたこの一ヶ月を振り返ろうと思います。

 

 

前回の振り返り

人間関係に悩み、メンタルも気力もボロボロの状態で、本来考えなければならない就労に関することを何も考えられなくなっていましたが、先生の指摘を受け、気持ちを切り替えました!

そして、なかなか決断に至っていなかった就労移行支援施設を決め、とんとん拍子に利用開始が決まり、就労移行支援施設への通所が始まりました。

デイケアにも通いながら就労移行支援施設へ通所することを希望していましたが、疲れを感じてデイケアに行くことを迷う日もありました。

それをカウンセリングの先生に相談すると、「迷う日は休んでもいい」と言ってもらいました。

不安や疲れを感じつつも就労移行支援施設への通所を続けていました。

 

今回の受診日までの1ヶ月程の話

なんと!ブログを書いた翌日からまた事件がおきまして!メンタルの調子を崩しました☆

原因と思われることが起きて、最初数日はむしろ元気だったんですけど、そこから食欲やら気力やらが落ちていき…。

メンタルが不調なような気がしててもどうにか過ごしていたのですが、推しのライブに行く予定が終わると一気に気が抜けてしまったのか、急降下してしまって…。

困ったことに、思考力や判断力が低下してしまったんです。

頭痛いし、考えてもごちゃごちゃしてまとまらないし、考えたいことと別のことが頭を巡るし、そうこうしているうちに考えることに疲れちゃって、結局決断できないという状況に陥っていました。

とにかくこの状況はよくないということと、原因はたぶんこれ!と分かってはいたので、ひとまずカウンセリングを受けさせてもらおうと翌日病院に行くことにしました。

そして翌日、どうにか病院には行ったのですがカウンセリングの先生が忙しく、隙間時間が出来たら話を聞いてくれるという事だったので、それを待つ間デイケアにも一応行ったのですが、とても参加することはできず別室で引きこもっておりました…。

その後カウンセリングの先生が時間を見つけて声を掛けてくださり、現状の落ち込みとか原因と考えられることとか回復に時間がかかりそうな気がするとか色々話しました。

カウンセリングの先生からは「最初数日元気だったのは、心の自然な動きで、落ち込んだのをもう大丈夫!って心が奮い立たせてくれたんだと思います。思考力が落ちてるって気づいて休めたことも、原因が分かって落ち込みが長く続くかもと気付けているのもいい変化ですね。」と言われました。

それから落ち込みと思考力の低下などを抱えながら自宅に引きこもる生活が続いていました。

就労移行支援施設への通所を思考がまとまらないことを理由に休んだその日、休んだにも関わらずしなければいけないことが色々とありました。

やらなければならないと思っていることを「無理だ!今の私にはできない!」と思いながら、「でもしなきゃ!とにかく落ち着いて、ちょっとずつしよう…。」と発狂しそうな自分をなだめたり励ましたりしながら、どうにかこうにかこなしました。

そして、しなきゃいけない事の中に外出しなければいけないものがあり、正直とても外出できるような精神状態ではなく無理だとは思いましたが、それでもどうにかこうにか身支度をして外に思い切って出てみました。

すると…なんと、意外と平気だったんです。

溜め息とか愚痴とかは出るんですけど、やらなければいけないこともできたし、あんなにまとまらなかった思考も落ち着いて考えることが出来ました。

もしかして引きこもるより外に出た方がいいのかも…?と思い、翌日デイケアへ行ってみることにしました。

すぐに疲れるし、食欲はないし…って感じではありましたが、デイケアに参加することはできました。

その後も回復していくのを実感し、受診日は回復した状態で迎えることが出来ました!

 

今回の受診日の私

緊急でカウンセリングの先生にお話を聞いてもらって以降、回復したことと回復した過程を話しました。

その中で「今回は偶然にも無理を通して外に出たことで、結果的にいい方向に進んだからよかったけど、毎回そうとは限らないし、どのタイミングで外に出て大丈夫になるのかわからない。」ということを話しました。

カウンセリングの先生に言われたのは「以前SSTで話したストレスコーピングをとりあえず一個ずつ試してみるのがいいかもしれませんね。いったん外に出てみて、無理だなった思ったらまた横になるでいいと思います。」ということだった。

もちろん、原因となっていたものの話にもなり、少しずつどう対処するか学んでいこうという話になりました。

先生の診察では、この1ヶ月程の間にあった落ち込みや症状の話と無事回復したことを話しました。

すると、先生に「優先順位がわからなくなったってこと?」と思考力・判断力が落ちたことを掘り下げて聞かれました。

実際にどういう状態だったかを詳しく話すと「ADHDみたいだね…。」と。

そしてチェックシートを渡されました。

実はカウンセリングの先生にも以前、ADHDのような物事への対応の仕方をするときがあると言われたことがあり、そのことも先生に話しました。

ADHDがどういうものか、先生がわかりやすく説明してくれました。

それを聞いていると、どうにも…思い当たる節が0ではない…。

チェックシートに関しても、該当すると感じるものがいくつか…。

チェックシートだけで決まるものではないし、カウンセリングの先生もADHDでなくてもADHDっぽい対応の仕方をする人はいると言っていたので、診断はどうなるか分かりません!

次回のお楽しみですね!!!(楽しみではない)

 

今の私

まあ、正直、正直言うとですよ、ADHDのチェックシートを渡されてその可能性を示唆されて、動揺したし不安になったしまたメンタルが不安定になるかと思いましたけど!

でも、例えばこれからまた何か新しく気付いて診断が下ったとしても、名前が付いただけで、今までもずーっとその私だったんだよなぁと思ったので、メンタルが不安定になることは無事回避されました!!

受診日以降は就労移行支援施設へも通常通り通所しています。デイケアには疲れを感じちゃってたりでなかなか行けてませんが…デイケアも、ちょっとずつ行きたいなぁ。

あと、ひとつ良い気付きはありまして、これまでは体力や気力がもたず、眠いわけではないけど疲れて動く気になれないので寝ようという風に就寝していました。

ですが、ここ最近は、相変わらず眠くはならないけど、体力や気力がなくなって疲れを感じるから寝ようとはならないなぁと気付いたんですよ!

まあ、眠くはならないので、起きてようと思ったらいつまでも起きてられちゃうし、一度寝たら、それはそれでいつまででも寝ようとできちゃう感じではあるのですが…。

気力や体力がちょっとずつ回復しているという意味ではいいことだなぁと感じました!

メンタルも気力も体力もちょっとずつ回復しているようで嬉しいですね!

 

来月は、ついにあの日から2年経つわけで…

とってもびっくりなんですけど。

余裕があれば、2年前を振り返るブログを書きたいですね。

でも…あの、余裕があればなので、書かないかも、です。そのときはごめんなさい。

 

ではでは、

こんな私の体験も、誰かの参考になりますように。